予防・健康づくりという分野ならではの
特性を活かした指針・研究手法の作成を目指す

【第34回日本産業衛生学会全国協議会】AMED共催ランチョンセミナー
「エビデンスに基づくヘルスケアサービス実装に向けた基盤整備と社会実装」 レポート

2024年10月3~5日に千葉県木更津市のかずさアカデミアホールで開催された第34回日本産業衛生学会 全国協議会。AMED(日本医療研究開発機構)共催ランチョンセミナー「エビデンスに基づくヘルスケアサービス実装に向けた基盤整備と社会実装」では200席が満席となるなか、現在行われているヘルスケア社会実装基盤整備事業についての全体像と、事業の成果についての報告が行われた。

AMEDは2020年度より予防・健康づくりの取り組みを開始し、2022年度にヘルスケア社会実装基盤整備事業をスタート。2024年は、第一陣の成果物の公開年度となっている。

冒頭は座長である北里大学医学部公衆衛生学教授、AMEDプログラムオフィサーの堤明純氏が「今日の発表内容についてご参加のみなさんからもフィードバックをいただき、よりよい形で社会実装を目指したい」と発言し、一人目の登壇者、阿野氏に繋いだ。

座長を務めた北里大学医学部公衆衛生学教授、AMEDプログラムオフィサーの堤明純氏(右)
座長を務めた北里大学医学部公衆衛生学教授、AMEDプログラムオフィサーの堤明純氏(右)

演題:予防・健康づくり領域のエビデンス整理と研究手法の開発、今後の展望
「指針を作っておしまいではなく、継続的な活用を目指して」

AMED医療機器・ヘルスケア事業部ヘルスケア研究開発課主幹の阿野泰久氏は、現在取り組みを進める「予防・健康づくり領域のエビデンス整理と研究手法の開発」がなぜ必要かについての解説から始めた。

医薬品や医療機器の領域では、臨床評価に関するガイドラインなどが整備されており、製薬企業などはそのガイドラインに沿って製品開発を進め、そこで構築したエビデンスを基にPMDA(医薬品医療機器総合機構)が審査、承認するという社会実装へのルートが存在する。

一方、予防・健康づくり領域では、「サービス開発時にどのようなエビデンスを構築すべきか、その基準や方法が未整備である。これがエビデンスに基づくヘルスケアサービスの普及を阻む一因となっている」と阿野氏は指摘する。

この課題に対応するため、AMEDは2022年度に「ヘルスケア社会実装基盤整備事業」を開始。予防・健康づくりに関する現状のエビデンスを整理した指針の策定を医学会主導で進めるほか、予防・健康づくりの特色を踏まえたサービスの多面的な価値評価方法、行動変容に関する評価指標、エビデンスを構築するための研究デザインといった新たな研究手法の開発を推進している。

一つ目の指針は、各健康領域に関連する医学会の専門家たちが「指針作成委員会」といった組織を作り、予防・健康づくりに関わる重要な介入方法についてヘルスケア・クエスチョンを設定し、世界各国で実施された研究の結果をくまなく収集、質が高いと判断された研究をまとめて、学会としての考え方(推奨度)を示すというもの。ヘルスケアサービスの開発/提供事業者や、自治体、健康経営企業、健保組合といった住民や従業員向けにサービスを導入するサービス利用者に活用してもらうことを想定している。

現在、一次予防として高血圧、糖尿病、認知症、メンタルヘルスなど7つの健康課題領域、二次・三次予防として脂肪肝関連疾患など3つの健康課題領域を対象に指針策定が進められている。2024年度中には一次予防領域の7つの指針が公表される予定だという。

その中味について阿野氏は、「例えば、高血圧症の一次予防のための対策として栄養指導は有効であるか、というクエスチョンに対して、現時点のエビデンスを整理した上で、5段階の推奨レベルで推奨度に関する学会としての考えをまとめる」と説明。AMEDでは今後、指針の推奨結果に基づいたサービス開発を支援するとともに、エビデンス不十分のため推奨を保留するヘルスケアアプローチについては引き続きエビデンスの構築・蓄積の支援を進めていくとの意向を示した。

二つ目の「新たな研究手法の開発」は、予防・健康づくり領域ならではの特徴として、未病の人が主たる対象であることや、RCT等の比較試験が実施しにくい環境要因などがあることが踏まえての取り組みだ。臨床的アウトカムだけでなく、労働生産性や費用対効果、アドヒアランス、QOLへの効果などのアウトカムを含めた多面的価値の評価方法の開発を進めているという。

最後に、阿野氏は医学会主導で策定を進める指針について改めて触れ、「AMEDとしては指針を作っておしまいではなく、今後も多様なステークホルダーに活用いただけるよう、業界団体等と連携した普及や策定した指針のアップデートなども重視していきたいと考えている」と強調。「今年度中に公開予定の指針は現在パブリックコメントを実施中なので、ぜひコメントをいただきたい」と締めくくった。

AMED医療機器・ヘルスケア事業部ヘルスケア研究開発課主幹の阿野泰久氏
AMED医療機器・ヘルスケア事業部ヘルスケア研究開発課主幹の阿野泰久氏

演題:働く女性の健康づくりとデジタルヘルス技術の活用:現状と将来の展望
「ライフコースごとに健康課題を抱える働く女性の健康づくり支援は社会的メリットも大きい」

続いて東京大学大学院新領域創成科学研究科サステイナブル社会デザインセンター准教授の齋藤英子氏は、AMEDヘルスケア社会実装基盤整備事業の助成を受けて行っている「働く女性の健康づくりに資するヘルスケアサービスと社会実装~多面的価値評価に関する研究~」の最新の知見について発表した。

齋藤氏が研究対象とする働く女性は、ライフコースごとにさまざまな健康課題を抱えている。20代では不規則な生活習慣、朝食抜き、PMS(月経前症候群)が、30代ではストレスや不妊治療が主な課題である。また、40代から50代にかけては運動不足、閉経前後の症状、メンタルヘルスの問題、乳がんが挙げられ、60代では骨粗鬆症が顕在化する。これらに対応するための対策として、20代はライフプランの理解、30代から40代は食生活や喫煙・飲酒の改善、50代はストレスマネジメントや運動習慣の維持などが重要であるという。

「多忙な中で、これらの健康づくりを支えるのがモバイルアプリやIoTを活用したヘルスケアサービスである。しかし、多くのヘルスケアサービスの事業者や利用者は、サービスを製品化したり導入したりする際に、安価であること、おしゃれであること、手軽に入手できることといった曖昧な要素に頼らざるを得ない。医薬品のような確固とした評価基準がない現状において、われわれの研究班ではより良いサービスにつながる評価プロトコルの構築を目指している」と齋藤氏は説明する。

東京大学大学院新領域創成科学研究科サステイナブル社会デザインセンター准教授の齋藤英子氏
東京大学大学院新領域創成科学研究科サステイナブル社会デザインセンター准教授の齋藤英子氏

IoTやアプリの利用者は、女性では2割にも満たない

働く女性の健康づくりを支援する多面的価値評価プロトコルの構築に向け、齋藤氏はまず「デジタルヘルス技術の利用者視点」に注目した。

デジタルヘルス分野では、健康管理アプリ、スマートウォッチやスマートリストバンド、スマートリングなどのウェアラブルデバイスが登場している。さらに、妊活を目的としたIoTデバイスや骨盤底筋トレーニング用デバイスも使われ始めている。また、最近ではフェムテックと呼ばれる商品が、ジェンダー平等やサステナビリティなどSDGsへの貢献を価値として訴求する動きも見られる。

「デジタルヘルス技術の普及には、従来の医療機器を対象とした評価基準を超えた新たな基準が求められる」と齋藤氏。新たな基準作りとして、従来の費用対効果に加え、以下のような尺度を評価プロトコルに盛り込むべく議論を進めている。

家族の影響、家族からの影響:病気の悪化は本人だけでなく周りの介護者や家族の健康状態にも影響する。例として、小児感染症の入院患者を介助する母親のQOLが有意に低下するという研究がある

公平性、格差の是正:ジェンダー格差、デジタル格差、情報格差など、回避可能かつ不公正な健康格差がないことが重要である

更年期やPMS:女性特有の健康問題が労働損失を引き起こしていることに着目する

齋藤氏は、働く女性を対象としたIoTやアプリの利用実態を把握するため、20~64歳の女性1万人を対象にウェブアンケート調査を実施。その結果、これらを利用している女性は全体の2割に満たないことが判明した。また、月経関連の症状で悩む女性は多いが、解決するためにアプリを利用している人は少数であること、肥満問題を抱える人は少ないもものの、痩せる目的でアプリを使用している人が統計的に多いなど、課題と使用目的の間に乖離が見られたという。

さらに、IoTの有効性を検証するために実施した系統的レビューとメタ解析では、IoTの使用が妊娠中の体重管理に有効である可能性が示唆された。また、デジタルヘルスデバイスを利用している人は、生活満足度や幸福感といったウェルビーイング指標が高い傾向にあることも明らかになった。

デジタルヘルス技術評価の国際比較と日本への示唆。
アクセスの公平性と情報保護が鍵

次に、齋藤氏は「デジタルヘルス技術を評価する側」の視点から、7カ国1機関(WHO)のデジタルヘルス技術に関する評価ガイドラインを比較した調査結果を発表した。

各国が評価ガイドラインを作成する目的はそれぞれ異なり、オーストラリアは保健医療におけるイノベーション創出、カナダはデジタルヘルス技術評価の標準化、フランスやドイツは公的医療保険の給付対象とするかどうかの判断基準、韓国はデジタルヘルス機器の承認基準、米国は定期的な品質管理に活用といった具合で、それぞれの国の特性が反映されている。

「共通して見られた要素としては、安全性、アクセスの良さ、公平性、プライバシーや情報保護が挙げられる。特に女性の健康に関連する技術では、プライバシーや情報保護のほか、利用者の知識や行動変容を促すことが明確に打ち出されている国が多かった」と齋藤氏。調査を通じた考察として、「アクセスの公平性」と「情報保護の基準作り」が重要である旨を指摘した。

「デジタルヘルス技術を活用できる層は限られており、健康格差の拡大が懸念される。日本でもデジタルヘルス技術を利用する女性は2割程度にとどまるという実態がある中、アクセスの公平性がどの程度考慮されているかは、今後の評価基準として重要な要素である。

また、IoTやアプリを通じて収集される個人情報は、利用者の健康状況に密接に関連したセンシティブなデータである。特にフェムテックや妊活関連の情報は慎重に扱う必要があり、情報保護の基準を整備することが欠かせない」(斎藤氏)

さらに研究班の議論では、サステナビリティ、データのポータビリティ、使いやすさ、継続的な評価枠組みといった要素も評価基準に含めるべきとの意見が出ていることも紹介した。

齋藤氏によると、デジタルヘルス技術の健康効果が顕在化するまでには10~15年を要することが多い。このため、「評価基準としては、その手前の行動変容に着目するのが現実的である」と述べる。

想定される評価基準は以下の通り。

  • 明確さ、安全性、プライバシーへの配慮
  • 各国のガイドライン順守
  • 利用目的や内容が健康課題と適合しているか
  • 有用性・有効性
  • データの所有権の明確化
  • データの互換性への配慮

これらの全項目を一律に満たす必要はなく、項目ごとに重み付けを行い、加点方式の評価基準とすることを検討している。

「今後、本研究班で収集するエビデンスをもとに評価基準をさらに具体化していく予定である。事業者やステークホルダーと協議し、実用的で使いやすい評価プロトコルに改良を加えていく。同時に、意見やコメントを広く募集している」と齋藤氏は語り、発表を締めくくった。

セミナー修了後、堤氏と齋藤氏にそれぞれ、指針や評価基準作りに込める思いや課題について話していただいた。

「我々は予防・健康づくりの領域での新たな指針作りや研究手法の開発を一つの目標としており、私はプログラムオフィサーとして、他の先生方とともに、各研究がうまく進むよう助言をしたり併走をしたりする立場にあります。臨床系の学会は、診療ガイドライン作りに慣れており、継続し動かしていく仕組みを学会が持っていますが、予防・健康づくりという“治療ではない分野”ではその仕組みがないのが現状。AMEDの本事業では、この取り組みが継続できる仕組みを作っていくことも必要です」(堤氏)

「ユニセフに6年間勤務した経験の中、途上国における母子保健の格差を日々実感していました。帰国後、日本にもジェンダー格差や健康格差が存在していると感じ、研究を通じて解決策につなげていけたらとの思いから、本研究に応募しました。最近、経済産業省から、更年期症状や婦人科がんといった女性特有の健康課題による社会全体の経済損失は年3.4兆円程度に上るとの試算が公表されましたが、デジタルヘルスアプリやIoTを活用すれば、女性の健康を支援する可能性は非常に高いと考えています。フェムテック分野が社会実装されれば、疾病予防にとどまらず、労働損失の軽減や経済効果にも寄与し、社会的な恩恵も極めて大きいと期待しています」(齋藤氏)